幕下力士・吐合の危機から、力士としての死を考える。

当ブログを作るきっかけになった、
幕下力士:吐合(はきあい)。
学生横綱で角界入りし、
直後に大怪我の影響で番付外に転落。
そこから8年かけて這い上がり、
1年前に十両昇進直前まで至りながら、
最後の1番で敗れ、昇進は翌場所以降にお預けになった。
この時完成された彼のスタイルは、
翌場所以降の活躍を期待させるものだったが
現実は厳しい。


3月場所中に臀部の腫瘍が出来るという
不運も重なり、負け越し。
再起を賭けた5月場所、巻き返しを図った
7月、9月、11月場所でも負け越し。
気が付けば十両どころか三段目さえも見える
幕下48枚目まで地位を落としてしまった。
3月場所には幕下2枚目だった力士が、
幕下下位の力士にさえ負けが先行する非常事態。
相撲の取り口は、1年前と変化が無いように見える。
力士としては小柄な部類に入る吐合は
立ち合いから相手の圧力をいなして自分の距離を取る。
そして先手を取って突き押しから態勢を崩し、
そのまま押し出すというのが彼の形である。
1年前はこの形で十両クラスの力士との対戦でも
ほぼ勝利を収めることに成功していたのだが、
残念ながら現在は大きく分けて2点の問題が発生している。
自分の距離が取れないこと。
そして、相手を崩しきれないこと。
相手の距離を許せば、体格に劣る吐合は
守りに入らざるを得ず、絶対的不利な状況に陥る。
自分の距離を作っても、得意の突き押しで
相手を崩しに掛かるのだが、土俵際で態勢を崩し切れていない
相手に対して決めに掛かり、かわされて敗れるという
負けパターンが出来てしまっている。
5月当初は崩しきれないパターンが多かったのだが、
遂に最近では相手に先手を許すパターンまでも増えてきている。
恐らく膝などの状態が良くないことに
起因しているのではないかと想像はしているのだが、
問題はこれが一時的なものなのか、
これからも続くことなのか、ということである。
前者であれば回復を待てばよい。
だが、問題は後者の時である。
吐合は新しいスタイルを構築する歳ではない。
つまりは、力士としての死を何時まで延命するか、
という視点にならざるを得ないわけである。
いつ自分に対して見切りを付けるか。
関取であれば、幕下転落が一つの指標となるが
彼の場合はどうなのだろうか。
三段目転落なのか、一定の年齢なのか。
考えたくないことではある。
だが、相撲だけを続けてきた力士にとって
相撲を辞めるという決断ほど重いものは無いだろう。
彼の相撲を数年観てきた私でさえ辛いのだから、
本人からすればその感情は筆舌に難いことは
容易に想像がつくのである。
学生横綱で角界入りし、
直後に大怪我の影響で番付外に転落。
かつてのスタイルを捨て、試行錯誤の末
ようやく身に付けた十両でも通用するスタイルで
8年越しの夢をみたものの、あと一歩のところで届かず、
その後は徐々に番付を落とし失意のもと引退。
あまりに寂しい。
寂し過ぎるではないか。
努力は必ずしも敵わないが、
成功者は必ず努力している、という言葉が有る。
人生とは不平等なものである。
そんなことは判っている。
幕下の力士は、誰もがこうしたドラマを背負っている。
土俵での戦いは、彼らの生きざまの対決でもある。
吐合だけではない。
相手だって背負っている。
こうした中で勝ち抜くことの難しさを思うと、
幕下に在籍する全員に成功してほしいという
願望を抱かずにはいられない。
だが、それは敵わない。
それが、幕下の厳しさなのだから。

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