サッカー日本代表敗戦。その後のブーイングの有無に対する議論を、相撲の応援スタンスを元に考える。

サッカーの日本代表がウルグアイ戦に敗れた。
これについて、観客がブーイングをしないことに対して
疑問の声が上がっている。
確かに本田や香川、長谷部らのドリームチームを
観られただけで満足し、敗れたにもかかわらず
それ自体を喜ぶだけではチームとしての前進はない。
そもそも彼らの多くは日本代表の試合だけを楽しみ、
その陰にあるJリーグや海外での選手たちの奮闘ぶりには
あまり興味を示さない。
代表の屋台骨とも言える活動は置いておいて
いいところだけをしゃぶり尽くす。
「感動のタダ乗り」とも言える行為に対する警鐘については
分からなくもない。
ただ、問題はこのブーイングに対する捉え方である。


一つの問題提議として、相撲ファンの大部分はブーイングをしない。
この辺りから考えていきたいと思う。
そもそも我々相撲ファンがブーイングをしないのは何故か。
それは、相撲が日本文化を踏襲しているからである。
我々は、勝者を称える。
そして、敗者を思いやる。
常に相手の立場に立ち、相手に必要な反応を示す。
それは決して、独り善がりなものではない。
我々は力士に対して品格を求める。
そして同時に観る側には観る側としての品格を保つ。
だからこそ、我々は不甲斐ない戦いをしようとも
想いを堪え、信じ続ける。
裏切られることだって有る。
成長が見られないことなど、日常茶飯事である。
しかし、課題に対する気付きやその後の努力というのは
力士や親方の範疇の話なのだ。
互いが常に高め合い、互いが感謝する。
緊張感を保ちながら、ファンと力士は関係を深めるのである。
故に、我々相撲ファンはブーイングをしない。
サッカーという競技、選手とサポーターとの関係は
日本に於いては海外から持ち込まれた考え方が基調に有る。
サポーターはチームの一部であり、
だからこそ当事者意識をもって参加する。
チームと共に笑い、チームと共に泣く。
サッカーの歴史はサポーターと共に有るのだ。
そのため、応援行動の一部としてブーイングが定着している。
不甲斐ないチームに喝を入れ、問題意識を持たせる。
それが出来るのは、チームとサポーターとの関係が
サッカー独自のものだからである。
だが、サッカー文化に普段から触れていない者からすると、
ブーイングという概念自体が日本的文化からは離れているので、
積極的に参加しづらい。
そのため、通常はJリーグに足を運ばないような層からすると
ブーイングに二の足を踏むのである。
つまりは、相撲の応援的なスタンスを彼らは取っているのだ。
サッカーにはサッカーの文化が有る。
だが、日本には日本の文化が有る。
勿論押し付けるわけではない。
だが、ブーイングをしないという見方もある。
ブーイングがサッカークラブを強くする。
そして、遠くから見つめることで力士を強くする。
どちらもまた、真なのである。
この議論に正解は無い。
だが、どちらの方法も結論としては選手を高めていきたい
という理念に基づいているのである。
ただ、一つだけ。
ブーイングというのは感情的な要因が入りやすい。
強くなってほしいという思いではなく、
単に怒りをぶつけるだけのブーイングであれば
それは本末転倒だということ。
それだけは、肝に銘じてほしい。
◇特報◇
「幕下相撲の知られざる世界」のFacebookページでは、
近日中に300万アクセス記念ということで第一弾イベントを開催します。
なお、第二弾イベントにつきましてはブログ上で発表いたしますので、
お見逃しが無いよう、お願いいたします。
https://www.facebook.com/nihiljapk

サッカー日本代表敗戦。その後のブーイングの有無に対する議論を、相撲の応援スタンスを元に考える。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 鶴田 満吉 より:

    >そもそも我々相撲ファンが・・・・我々は・・・
    ブーイングをしない理由は、同じ相撲ファンであっても、ひとそれぞれ。
    たとえば僕がブーイングしない理由は、ブーイングするような自分が、ミーハーのお調子者みたくて、ただ単に恥ずかしいからです。別に、対象の力士を思いやって黙ってるわけじゃありません。
    ですから、他人のことはともかく、該当部分は正確には「私は、僕は、」と言い換えるべきだと思いますよ。

  2. 鶴田 より:

    >「恥ずかしい」こそ、日本的な感覚ならびに文化に根差した思想だと思うのです。
    シャイは万国共通の感情です。この場合、日本文化は関係ないでしょう。

  3. Nihiljapk より:

    ご自身の共感しない意見を一般論として
    語ったことについて申し訳ありません。
    こちらのブログではあくまでも限られた
    スペースの範囲内でモノを語っている性格上、
    本来であればそこに客観的な証拠を持たせるべきなのですが
    それをすると膨大な文章量が必要となり、
    文章の主題からは外れてしまいます。
    故に、ある程度そのような記述を省略して書かせていただいています。
    とはいえ、共感できない意見に対しては
    このままでは互いが平行線をたどることになります。
    もし、そこに対してどうしても譲れない一線が有るのでしたら
    その客観的な論拠をお持ちよりいただければ
    ブログを通じての意見交換が可能になり、
    大変有意義なものになるかと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)