亀田三兄弟型の21世紀型ヒールと、朝青龍型の20世紀型ヒール。最新ヒール事情と、今後アスリートとして在るべき姿を考える。前編

亀田大毅の王座について物議を醸している。
この報道に対するリアクションとして
彼はいわば被害者であるにもかかわらず
なぜか批判されている。
理由は単純で、彼の立ち位置はヒール(悪役)だからだ。
いつの間にか彼らのことを良く言うのは
放送権を持つTBSだけ、という状態に陥り、
何をやっても批判されてしまうまでに至ったのは
これまでの経緯が理由である。
確かにこれまでにこれだけ多くの出来事が有れば
彼らに対して厳しい意見が出るのは仕方が無いことだ。
リング上で歌を歌い、
内藤大助を投げ飛ばし、
疑惑の判定を続ける。
日本人の生真面目な性質には、この経歴は
受け入れがたいものなのである。
だが、この亀田三兄弟は確かにヒールとしての
立ち位置であることは間違いないのだが、
私が考えているヒールとは異なる。


私が考えるヒール。
相撲なら、朝青龍。
野球なら、落合博満。
ゴルフなら、ジャンボ尾崎。
陸上なら、中山竹通。
少々古いが、こういうイメージなのだ。
何となく言わんとしていることは分かると思うのだが、
私が一番語れるであろう朝青龍を軸に話を進めたい。
朝青龍が亀田三兄弟と異なる点。
それは、力士として圧倒的という点である。
白鵬が後に比肩する存在になるまで、
土俵の中心は常に朝青龍であり続けた。
彼のライバルは彼自身で、自分に負けさえしなければ
優勝争いには常に関わり続けていたことは事実だ。
第一人者であり、誰も追従する者が居ないことから、
朝青龍の奔放さを咎める者は居なくなった。
結果、ヒールの重大要素である「傲慢さ」が
際立つようになった。
そして傲慢さは反感を招き、メディアは
朝青龍を叩くようになったのである。
圧倒的な実力。
奔放な言動。
そして、メディアによる袋叩き。
そう。
ヒールはこのような順序を経て成立してきたのである。
だが、考えてみるとこのようなヒールはもう存在しない。
落合もジャンボも、中山も前時代の選手なのだ。
そういう意味で考えると、朝青龍というのは
前時代的なヒール、敢えてこの言葉を使うと
20世紀的ヒールと言えるのかもしれない。
では、亀田三兄弟的な21世紀型のヒールとは、
一体どのような特徴を持つのだろうか?
続く。
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