亀田三兄弟型の21世紀型ヒールと、朝青龍型の20世紀型ヒール。最新ヒール事情と、今後アスリートとして在るべき姿を考える。中編。

亀田大毅の王座に関する物議を観ていて
私の思うヒール(悪役)像と異なることに気付き、
いわゆるヒール像を考えると、朝青龍に代表される
一つの形が存在することに気付いた。
圧倒的な実力。
奔放な言動。
そして、メディアによる袋叩き。
3要素が整い、我々はヒールに反感を抱く。
また、ある者はそんな強さに、キャラクターに惹かれる。
ファンとアンチが根強く存在し、
互いが理解し合うことは基本的にはあり得ない。
強い者に対する憧憬と、人間としても
完璧を求めるがために抱く失望の念。
失望は怒りへと姿を変え、辛辣な見方をするようになる。
圧倒的であるが故に人間的に足りなくても許される。
それがたまらなく不愉快なのだ。
だが考えてみると、今の日本にこのような存在は
はっきり言って存在しない。
朝青龍というのは20世紀型ヒールであり、
今はほぼ絶滅した存在なのだろう。
20世紀型ヒール。
例えば落合博満、ジャンボ尾崎。
彼らはこうした特徴を持っていた。
21世紀でアンチの多いアスリート。、
例えば亀田三兄弟、石川遼、そして、ハンカチ王子。
彼らはファンも多いが、それと同じだけの、
いや、それよりも多くのアンチが存在している。
こう見ると、彼らには共通点が有る。
ボンヤリと透けて見えてこないだろうか?
では、彼らはどのような特色を持つヒールなのだろうか?


まず20世紀型ヒールと決定的に異なるのは、実力である。
彼らは実力が無いわけではない。
そのスポーツの世界で上位に君臨するだけの存在である。
そこに異論はない。
だが、彼らは決して圧倒的ではない。
優秀ではあるが、もっと上に行ける可能性が有る。
また、その世界ではより魅力的な存在が居る。
それなのに、メディアは彼らをヒーローとして持ち上げる。
それほど魅力的には映らない彼らを、
みんな大好きという前提の元に報じる。
メディアが報じる「魅力的なハンカチ王子」に乗っかれる人はいい。
だが、アスリートとして圧倒的ではない彼らを
いくら魅力的だと伝えても、そこには限界が有る。
メディアの報じる虚像としての彼らと、
我々が感じている実像としての彼らとは異なる。
そこに違和感が生じるのだ。
魅力的なアスリートは、メディアが騒がなくても
既に魅力的なのである。
そして、彼らはヒーローとして扱われるために
言動が奔放になる。
既に違和感を覚えている側としては、
更に苛立ちを覚えることになり、
彼らに対してアンチ化していくのだ。
20世紀型のヒールが圧倒的な実力を基調とするのとは対照的に、
21世紀型のヒールはメディアのバックアップが基調に有る。
そもそも我々が苛立ちを覚える構造が異なるのである。
そう考えると、かつての荒木大輔のような存在は
現代であれば相当な数のアンチが生まれていたことだと思う。
逆に、当時であればヒールとして君臨していたであろう存在が、
実は今、意外な形で捉えられている。
そしてそこにこそ、今アスリートとして在るべき姿が
凝縮されていることに気付いた。
続く。
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