初日の黒星で灯る、綱獲りへの黄信号。それでも稀勢の里だからこそ期待する理由とは?
稀勢の里が初日を落とした。
昨日のエントリーで私は、日馬富士不在であることから
優勝争いのボーダーラインは14勝だと説明し、
だからこそ取りこぼしも白鵬に敗れることも許されない、
と主張した。
だが、初日からこの結果である。
九州場所での日馬富士と白鵬に見せた圧倒的なパフォーマンス。
そして、千秋楽で鶴竜に見せた、プレッシャーへの向き合い方。
確実に彼は進歩している。
裏切られたことも有るけれども、
歩は遅いかもしれないけど、前に進んでいる。
そう思い、この前向きな結果を喜んだ。
だが、初日の彼は我々が最も見たくなかった
稀勢の里そのものだった。
腰高。
プレッシャーに弱い。
この姿を、何度繰り返すのか。
落胆もしたし、腹も立てた。
案の定ツイッターやヤフーコメントは荒れた。
当然のことだ。
これだけ繰り返しているのだ。
映画の劇中でも、裏切りは1度まで。
2度の裏切りは死を意味する。
稀勢の里を映画の中の人物だとすると、
もう存在していないほどの業を重ねていることは間違いない。
彼らの気持ちも分かる。
それは責めない。
だが、私はそれを言うまいと思った。
そして、その手の論調を徹底して目にしたくないとも思った。
もう見放せば楽なのに。
尻馬に乗って怒りの言葉を吐けば、こんなに楽なことは無いのに。
しかし、私にはそれは出来なかった。
結局それは、稀勢の里に対して可能性を感じているからなのだ。
そして、その可能性が見せる鮮やかな相撲に魅せられているからなのだ。
私は5月場所からの白鵬との激闘を忘れないし、
九州場所で見せた13日目からの取組を忘れることは無い。
それは、単なる力士としてではなく、
等身大の萩原寛としての成長物語でもあるからなのである。
そう。
それは私が幕下力士に肩入れする理由なのだ。
一人間として限りなく限界に挑み、
アスリートとしてではなく人間としての弱さに向き合う。
その弱さにも、強さにも共感する。
稀勢の里が綱取りで見せるドラマは、
大関という超人のストーリーではない。
弱い人間が一歩一歩乗り越えていく、泥臭くも
カッコ悪くもあるストーリーなのである。
そして、彼はただ弱いだけでなく、
驚異的な強さを見せてきた。
そこにこそ、喜びを見出してしまうのだと私は思う。
もう一度言う。
ここで彼を諦めることは否定しない。
むしろ、それも自然なことだと思う。
期待し過ぎることが、重圧になっていることも事実である。
だが、私は稀勢の里に可能性が見える限り
裏切られても期待し続けることになると思う。
生身の人間が苦しみながら、前に進む。
そういう物語にこそ、私は惹かれるから。
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◇お知らせ4◇
本日(1月13日)は、国技館で観戦します。
和装で参りますので、お声を掛けていただけると嬉しいです。
初めまして。貴重な相撲ブログとして楽しく読ませていただいております。
稀勢の里関に関しましては、大相撲史上前例のない期待を背負わされる立場(言って見れば「グレート・ジャパニーズ・ホープ」的な)で気の毒な気持ち半分、「期待を裏切ることに関しては裏切らない」というネガティブな気持ち半分、といった感じです。
しかしながら、「お前なんぞもう知らん!」と怒り狂ってテレビのスイッチを消したとしても、また明日にはテレビのスイッチを入れて期待してしまう魅力というかほっておけない感もあるのではないかとも思います。
こんにちは。
ただただ同感です。
ガンバレ稀勢の里!
ノエルザブレイヴ さん
私もほぼ同じ感情と言っていい状態です。
大変だろうなぁと思いながらも結果を出せないことに対して
イライラもする。
でも、見放すこともできない。
今場所も最後まで見続けますし、
来場所以降もなんやかんや言いながらも
離れられないとも思っています。