取組前の所作が与える、大きな力。栃煌山のルーティンの威力に戦慄を覚えながら、その賛否を考える。

今日は夜勤明けだったので、飯田橋から両国に足を伸ばして
11時から相撲観戦。
眠い目を擦りながら、時に居眠りしながら白熱の土俵に酔いしれた。
そんな中、眠気が吹き飛ぶ一番が有った。
栃煌山対千代大龍戦である。
取組前に栃煌山は、決まった動きをする。
塩を手に取る。
胸を突き出し、両手を外に広げる。
塩を撒く。
そして仕切り。
腰を下ろす。
膝をリズミカルに、小刻みに動かす。
クイッ。
クイッ。
クイッ。
このリズムで手を突き、取組が始まる。
千代大龍目線で見ていた私は、
この仕切りで栃煌山にすーっと吸い込まれそうな錯覚を覚えた。
立ち合いを優位に進めたもののこの日は敗れたわけだが、
一所作に完全に呑まれたことに対して、私は驚いた。


勿論栃煌山のこのような動きはいつも見ている。
だが、直にこの動きを凝視し、そして
自分が取組を取る立場だったと仮定しながら観たときに
ここまで栃煌山の術中に嵌ることになろうとは、
全く予想していなかった。
これは野球で言うところのルーティンと言われるもので、
バッターが打席で毎回同じ所作をすることによってリズムを作り、
相手に対して自分のリズムの中で勝負させるという効果が有る。
イチローが20年、同じ動作を続けていることは
正にこれにあたるわけだ。
栃煌山に限らず、このようなルーティンを持つ力士は多い。
各々が自分のリズムで立ち合いに引きずり込もうとするので、
それが極に達すると先場所の白鵬稀勢の里状態に陥る。
そしてこのルーティンは立ち合いに限らない。
立ち合いなどが無関係の、どちらかと言うと
パフォーマンスに類するそれである。
栃煌山で言うところの、塩まき前の両手を広げる動きであり、
琴奨菊で言うところの、背中を反る動きであり、
少しマイナーなところで言うと、琴勇輝が腹を叩きながら声を出すアレである。
立ち合いに直接関係していないので、技術的には
相撲に影響を及ぼさないことは間違いない。
高見盛の談話によれば、恐怖心を打ち消すために
自分を奮い立たせるためにこうした動きを行うそうだ。
勿論この効果を狙っている力士も多いだろう。
だが、取組前のルーティンが持つ意味は、それだけではない。
特にそれは、国技館に来るとよく分かる。
取組前のルーティンは、とにかく盛り上がるのだ。
通常であれば取組前は、互いのファン同士が
二分して声援を上げるので、ワイワイガヤガヤという雰囲気だ。
だが、琴奨菊が反ったり、栃煌山が両手を広げるとどうなるか。
会場が一体となり、ルーティンを行った力士に声援が上げられるのだ。
正直なところ、琴勇輝の腹叩きはそれほど定着していないと
私は思っていたし、彼は今十両の力士だ。
付け加えると、2日目だと観客の数も限られている。
だが、今日は琴勇輝のルーティン後、その日一番の大歓声が送られた。
つまり、ルーティンは行った側の力士にとってホームとも言える
空気を創り出すことが出来るのである。
少なくとも1年前までは、そんなことは無かった。
だが、ここのところの人気回復は、副次的にルーティン力士に対して
力を与える結果になったのである。
だからこそ、最近では取組前にルーティンを行う力士が増えているのかもしれない。
稀勢の里が相手でも、今日の千代鳳のルーティンに対する歓声は凄かった。
ルーティンに対しては、否定的な方も居るかもしれない。
相撲らしくない、また、そういうことで自分の弱さを封じ込めることに対して
それは違うと思われる方も居るかもしれない。
そういう意見を持つことも、自由だ。
だが、個人種目であるにもかかわらず、会場が一体となって
一つのルーティンに対して盛り上がるのは、最近の相撲独自の文化である。
野球でもサッカーでも、応援というのはホームとアウェイで別れるからだ。
テクニカルなルーティンと、会場を一つにするルーティン。
皆さんはどうお感じか、ご意見を聞かせて頂きたい。
◇お知らせ◇
Facebookページです。
限定情報も配信しています。
https://www.facebook.com/nihiljapk

取組前の所作が与える、大きな力。栃煌山のルーティンの威力に戦慄を覚えながら、その賛否を考える。” に対して1件のコメントがあります。

  1. 麺部員 より:

    今晩は。
    本場所も三日目が終了、新横綱鶴竜効果でなかなか盛り上がっておりますが、初日黒星の日馬富士のみならず、白鵬も何かバタバタした取り組みが続いていますね。
    その日馬富士を筆頭に賛否両論ある仕切りにおけるルーティンですが、個人的には概ね否定するものではないと思っています。
    仕切りにおけるそもそもの意味等を鑑みた場合、反対意見があるのは当然と思われるものの、ある意味制限時間前に立つことがほぼなくなった現在の取り組みにおいては、立ち合い前の自己変革に必要な儀式の一環として、また、ごく自然に表面的に表れるものとしては、むしろ強制的にやめさせることはできないものと思います。(パフォーマンスであるなら論外ですが)
    またブログ中でもありましたが、普段テレビ観戦している際に目にするルーティンを実際に会場で目の当りにした際には、確かにテレビ観戦以上のインパクトがありますし、そういった力士のわかり易い特徴が、遠藤効果等でにわかファンとなった、そういった一見の方々の興味をより惹きつける一因になりうるとも思います。
    ただし、観客の受け止め方次第では、かつての全日本プロレス会場であったような、力士不在の、観客が勝手に盛り上がるためのネタにされかねない危険性もありますが。
    正直可否の判断・線引きは明確にはできませんが、ルーティン(キャラ)先行で注目した力士であれ、最終的には取組自体が語られるような熱戦を続けてほしいです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)