大相撲は非合理と理不尽の集合体。溜席の安全リスクを文化と捉えるべきか、否か。
昨日、日馬富士の一番で砂かぶりの観客が
転落してきた力士と接触して病院に搬送された、という
ニュースが報じられた。
考えてみると、昔はこういうニュースが報じられていなかったが
ここ数年で活字として目にする機会が増えてきたように思う。
今も昔も土俵のサイズも砂被りとの距離も変わらなので
ニュースが無かったのはこうした事故が無かったからではなく
単に報じられていないのだろう。
ファールボールが当たった観客が、訴訟を起こす昨今である。
今回のこともまた、観客次第ではひと騒動に発展する可能性も有る。
ニュースとして報じられる怖さが有るのは、正にそこだ。
国技館で怪我をしたとなると、主催者にその原因を求める。
改善できるものであればその努力をすべきだと思う。
しかし、力士と観客の接触を完全に絶つための対策を考えると
溜席を廃止するか、柵を作るか、という2択になる。
つまり、こうした事故を防ぐには大相撲の粋で成立してきた
独自の文化を捨てざるを得ない。
果たしてこれを、時代の変化という一言で終わらせていいのだろうか。
大相撲の持つ面白さの大部分は、こうした非合理や理不尽を
粋というレベルに昇華しているところに有る。
例えば塩を撒くということもそうだし、
懸賞金を受け取るあの所作についてもそうだ。
相撲をいちスポーツとして見れば、排除しても差支えの無い要素なのかもしれない。
だが、相撲はスポーツであると同時に文化でもある。
非合理や理不尽の中には必ずそれを形成してきた理由が有り、
その理由の積み重ねこそが大相撲を大相撲たらしめる粋に繋がっている。
それらを合理化すると、JUDOへと変化した柔道と同じ道を辿ることになる。
柔道を世界に広めるにはそれは必要な変化なのだが、
その過程で講道館柔道の根幹を成してきた「実践的な格闘技」という側面を
大いに喪失する結果となった。
だからこそ、この議論については慎重に成らねばならないと私は思う。
怪我をされた方については大変気の毒だと思う。
私も同じ立場であれば、困ることだと思う。
だが、この「気の毒」という感情は、過剰に相手に配慮する傾向も有り、
今までの全てを否定する方向で議論が進みやすい。
特に、被害者の声が強くなる今だからこそ、言われる前に
反省しているスタンスを見せようとするがために
過剰な対策を取ることも一つの傾向である。
何が変化すべきポイントで、何が大相撲の粋として残さねばならないことなのか。
これこそ、2014年の大相撲の大きな争点である。
とりあえず今、溜席に来られる方については
こうした危険性が有ることも含めてご覧頂きたい。
そして理不尽や非合理を含めて大相撲なのだということを
受け入れたうえで観戦していただければと思う。
最後に、大相撲協会の溜席の案内に記載された備考欄を抜粋して
この記事の締めとしたい。
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・土俵競技者(力士等)の転落による傷害の危険があります。
・危険に対応できないお子様や身体の不自由な方は入場をお断りいたします。
・お子様の利用は、保護者同伴の上、小学生(6歳)以上とします。
また、入場券1枚に1名様とし、抱きかかえる等の利用は禁止とします。
・観戦当日、上記内容において傷害を受けた場合は、
診療所等にて応急処置をさせていただきますが、その後の補償等には一切応じられません。
・飲食行為・危険物の持ち込み・カメラ等での撮影・携帯電話等の使用は禁止いたします。
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