隆の山引退。持たざる者の「幕下相撲」を体現し続けた隆の山の相撲に出会えた喜びを今、振り返る。

隆の山が引退した。
力士の引退というのはやはり寂しいもので、
土俵生活というのは限られた時間しか共有できないものなのだと
再認識させられる。
これが実績有る力士であれば、国技館で断髪式が行われ
引退相撲という形で興行が打たれる。
そして、引退するにしてもある程度やり切ったところまで
現役生活を続けられる。
もしくは、衰えた姿をあまり見せることなく
引退していく力士も珍しくない。
だが、これが幕下以下の力士となると話は別だ。
長い期間相撲を取ると、自分の限界は分かる。
実力の世界だから、上位に居る力士との実力差は
痛いほど分かる。いや、分かってしまう。
努力は裏切らない。
夢は必ず叶う。
成功者の言葉だけが、世の中には蔓延る。
しかし、これは悪魔の囁きでもある。
『「夢」別名「呪い」』と歌ったのはライムスターだが、
夢が見えている分だけ、幕下力士達は現役生活が長くなる。
三段目までであれば悪魔の囁きも届かない。
だが夢に手が届く分だけ、悪魔の囁きに憑りつかれる。
幕下とはそんな力士達の人間交差点であり、
だからこそ身体も、技量も、そして精神的にも
未完成な力士達が集う。
それでも関取には無い、物質的にも精神的にも
ハングリーな想いは幕下にしかない彩りを添える。
隆の山は、私が幕下を見始めた時に衝撃を受けた力士だ。
それは実力や将来性という訳でなく、
そうした幕下の面白さを体現する存在だったからである。
私は幕下の何たるかを説明する時によく使う言葉が有る。
「幕下には体脂肪率8%の力士も居れば、腕立てが出来ない力士も居る。」
これは力士としては致命的な欠陥かもしれない。
体重が重い方が有利なのが相撲という競技の特性だし、
腕力が有るものが有利なのも特性だ。
だが、彼らにはそれが無い。
腕立てに関して言えば完全に力士側の手落ちだが、
体脂肪率に関しては努力ではどうにもならない。
努力は裏切らない。
だが、努力ではどうにもならない壁がそこには有る。
それが、隆の山で言うところの体重である。
隆の山は決定的なハンディキャップを背負いながら、
異国の地で相撲に、そして自分に向き合い続けた。
体重が増えない時点で、祖国のチェコに帰るという選択肢も有ったはずだ。
その方が、隆の山にとって生きやすかったのかもしれない。
それでも、隆の山は相撲界に残った。
幕下で相撲を取り続けた。
持たざる者が、超人に成るために最後の闘いに臨む場所。
それが幕下だ。
隆の山の相撲は究極の幕下相撲である。
彼は何とこの体で、この取口で関取の座を射止めた。
だが、関取になっても彼はこの幕下相撲を止めなかった。
それがたとえ十両でも、幕内でも。
だからこそ、隆の山の相撲は4時台の相撲を観慣れていた
私にとっては衝撃的だったし、
それは他のファンの方も同じだった。
隆の山を普通の小兵力士として考えると、我々は面喰う。
普通、小兵力士というと舞の海のような
飛んだり跳ねたりしながら相手を揺さぶり、
最終的にはテクニックで巨漢力士を転がすというスタイルを考える。
だが、隆の山はこのスタイルを踏襲しなかった。
隆の山はテクニックとパワーで相手を揺さぶるのだ。
一歩間違えれば吹き飛ばされる。
勝負がもつれれば、怪我の危険にも晒される。
変則的なスタイルは、誰もが一度は思いつく。
だが誰もやらないのは、そこにリスクが伴うからだ。
隆の山は変則への道を、茨の道を邁進した。
私は幕下相撲を吐合で知り、隆の山と深尾(明瀬山)で驚き、
今このブログを3年書いている。
その隆の山が土俵生活に別れを告げる。
今、幕下には隆の山のような存在は居ない。
恐らくこれからも現れないことだろう。
この相撲に出会えたことは、私にとって大きな喜びである。
第二の人生に、幸あれ。
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