相撲特集では「千代丸たん」の魅力が伝わらない!?相撲の魅力を伝えるのに今必要なのは「アメトーーク」の「相撲芸人」特集である理由とは?
今の相撲人気が「相撲ブーム」と報じられて久しい。
場所前になると力士がバラエティ番組で男芸者の本領を発揮し、ニュースでは今旬な力士を取り上げて、相撲のみならずそのキャラクターに迫っている。そしてもはや新しくて古い話題になってしまった感の有る相撲女子(スージョ)特集である。
イケメン力士の素顔や、彼らに会うための出待ち方法、それに必要なグッズ、あとそれらを語ってキャッキャ言い合う女子会の存在。半年前から始まったこの切り口は基本的に同じことをアレンジして放送しているため、初期から観ているこちらとしてはさすがに慣れてしまった。相撲女子は特集的には新概念ではあるのだが、その生態に親しみすぎてしまった身としては古いのである。だが、こちらが古いと感じるほどこの概念はリピートされているのだから、「どうやら相撲が女性の間でも来ている」ということは世の中的にも浸透してきたのではないかと思う。そういう意味でこのリピートは重要なのだ。
だが、この特集には実に気になる部分が有る。
一言で表すと「伝わっていないのでは?」ということだ。
例えば、力士と萌えの特集の時に千代丸の寝顔を出す。「ほら、力士って可愛いでしょ?」と嬉しそうにキャスターがはしゃぐ中、話を振られた20代前半の女性タレントが営業スマイル全開で「そうですね」と頷く。放送的には力士と萌えの概念が一般人と共有出来たという体で番組が進行するが、悲しいかな彼女達の返事には本心が見えないのである。
遠藤を殊更に男前と持ち上げることも然りだ。何が悲しいって、私を相撲ファンと知っていて「ニシオさん、遠藤って男前だってやけにテレビで言われてますけど、あれそうでもないですよね?」と言う人が居ることだ。うるせぇ!こっちだって違和感あるんだよ!少なくとも万人受けするわけじゃない。でも、確実に好きな人は一定の割合で居る顔だとは思う。
誰もが認める男前というのは寺尾や千代の富士のような力士を指すのであって、遠藤は少し違う。でもなんかそこが推されてしまう。そしてワイプで「カッコイイ~」みたいな同調をタレントに強いる。問題はこの醒めた「~」のニュアンスである。棒読みする訳にもいかないし、乗っかることも出来ない。だからせめてそういうリアクションを取ろうとすると必然的に「~」という声と表情を作らざるを得ないのである。
ただでさえテレビ番組というのは出演者の本音が見えにくいものだ。ハッピーな空間を作っていても、それはあくまでも作られた世界に過ぎないことを私達は知っている。しかしその中につい本心や想いを期待してしまう。そうした側面を皆が知り、テレビというメディアを「終わった」とさえ評する人が続出する2015年ではあるが、少なくとも自分が信じ、愛する世界に対しては虚構にならないでほしいと願っている。
だからこそ、この違和感に失望するのだ。
そもそも私は自分が面白いと思っている幕下相撲をお裾分けしたくてこのブログを始めた。そういう私なので、魅力をお裾分けするような企画にはどうしても期待してしまう。期待するまいと思っても、それは無理な話だ。だから、千代丸に萌えるという概念も、遠藤が男前という概念も、相撲を知らない方にも少しは伝わって欲しい。しかしそれが出来ないのには理由が有る。つまり、彼女たちは相撲のに親しくない存在だからだ。
千代丸について全く知らない人にとって彼はビックリ人間にしか見えない。そしてその間もなく「力士って怖そうに見えるけど、実は本当に可愛いんですよ!」とやられたところでそもそも力士が分からない。力士に対するリテラシーさえ無い状態でいきなり萌えを半ば強要されてしまう。
力士の怖さ、デカさ、非日常感を共有できていない状態でこれをやっても、伝わるはずもない。番組の流れ上萌えが共有されたということにはなっているが、温度差が有ることは否めない。ガチで千代丸に萌えているこちらからすると、その概念を紹介してもらえることは嬉しいのだが最先端を行き過ぎていて行方不明になってしまった人達でしかないことには寂しさを覚えてしまうのである。
だからこうした番組では相撲ファンの感じる面白さを、全く知らない方の文脈で説明することが求められるわけだ。それが出来ないと、単にエリマキトカゲを学校に持って行った時のような、変わった何かを持ち込んだだけで終了してしまう。むしろ番組製作者としては、エリマキトカゲを単に紹介したいだけなのかもしれないが、知識ゼロの方と、相撲の概念を上手く翻訳できる人やコンテンツが欲しいわけだ。
そこで真っ先に思いつくのが「アメトーーク」だ。「アメトーーク」の凄いところは、正に私が今求めていることを実現できる番組ということだ。
殆ど誰も知らないプロレスラー越中詩郎をフィーチャーして、見事に視聴者をロックしてしまう。プロレスも越中詩郎も知らない大半の視聴者が半笑いで話を聞きながら、最終的には越中についてググってしまう。ここまで来れば、ケンドーコバヤシさんの勝ちなのである。
だが、悲しいことに今この役割を果たせる人が、相撲の世界には居ない。デーモン閣下はこうした新概念を語るタイプではないし、一番近い能町みね子さんは「分かる人には分かる」文脈で相撲を語る方である。故に能町さんが引き寄せるのはいわゆる好事家であって、相撲界が一番欲しい方達とは異なる。
今相撲界が欲しいのは、自分から面白いことを取りに行くタイプの好事家ではない。
つまり、受け身ではあるが面白いことが無いか探しているタイプである。
この次元で面白さを語ることは本当に難しい。ポップな部分だけの知識ではいずれ破たんしてしまうし、マニアックな部分に面白さを感じている場合はメジャーな語り口が出来ない場合が殆どだ。おまけに、色々と規制の掛かる中で面白味を伝えなければならないので、語り方や言葉選び、そしてトピックに至るまで配慮した上で引き付けなければならない。
果たしてこんなことが可能なのだろうか。
私には分からない。
一つ確実に言えるのは、これはチャンスだということである。
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