荒れる白鵬を、誰がどう止めるのか。

白鵬の荒れた取組について、これまで議論の対象になってきた。
観客が危ないからすべきでない。
見苦しいからすべきでない。
これまでの功績を思うと批判すべきでない。
大部分はこの3択といったところだ。
「観客が危ないから」という意見については、当初私は建前の理由だと思っていた。何故なら「危ない」と言いながらも実際に負傷した方は居なかったし、自分がその対象になることは考え難かったからだ。
人が何かを批判する時、大半の動機が感情的なものだ。理屈が先に立って批判することは稀だ。感情に対して理由を乗せる。建前としての理由が欲しいのはそのためである。
つまり、大半の意見は実際のところ「見苦しいからするべきではない」に集約されるのではないかと思う。その証拠に「観客が危ないから」という理由が推される割には観客の安全確保という議論が為される様子は無い。
そして、「批判すべきでない」という意見についても行為に対しては批判的だ。それ故に「批判すべきでない」理由として功績を持ち出しているのである。行為を肯定するのであればそう主張すべきだが、そういう意見は見られない。
総合的に考えると、白鵬の荒れた取組自体は擁護出来ないところまで来ている。だが、こうした議論や批判は結局白鵬に届くことは無いだろう。何故なら、この状態が数年続いているからである。
では何故白鵬は荒れた取組を止めないのか。
理由は単純だ。
勝てるからである。
今場所は特にそうなのだが、白鵬はオーソドックスなスタイルの取組で危ない場面が目立つようになってきた。突き押しの力士の一発を喰らうことは、少ないながらもこれまでも有った。だが、最近では四つの力士が相手でも判断と行動が遅れるケースが出てきた。隠岐の海に対する苦戦や宝富士への苦杯という光景は、これまで無かったものだ。
反面で、ラフな白鵬は殆ど負けないのが特徴だ。荒れた取組については意見が別れるが、荒れた白鵬が強いか弱いか?という議論について意見が割れることは無いだろう。
それほど、荒れた白鵬は強いのである。
個人的には、このような白鵬をもう見たくはない。「横綱の相撲として」という次元を超えて単純に相撲として醜悪だし、下の力士が立場上応戦できないのを分かっていてパワーハラスメントを仕掛けるのはフェアでないと思う。
どん底の頃に大相撲を守った白鵬は死んでしまった。勝つことに全てを賭けた、新たな白鵬が生まれたのである。好きか嫌いかは別にして、これは凄い相撲だと思う。だが、相撲は凄ければ良い訳ではない。あの頃の白鵬が体現したのは、そういう姿だった。だからこそ誰もが感謝し、誰もが白鵬を愛した。
では今の白鵬をどう止めるか。
答えは一つだ。
そう。
この相撲では勝てないことを示せば良いのだ。
恐らくそれが出来るのは只一人。
稀勢の里である。
ただ、それは願望によるものではない。
稀勢の里は、荒れた白鵬との相性が抜群なのである。
一時期稀勢の里に対して分が悪かった頃の白鵬を思い出してほしい。あの時の白鵬は、相撲が荒れ始めていた頃だ。張り手やカチ上げでは稀勢の里を崩せない。だが、闘志を剥き出しにした白鵬はそれでもラフな取組を繰り返した。
崩れない稀勢の里は、得意の左をねじ込む。身動きの取れない白鵬は必死に抵抗するが、後手に回らざるを得ない。態勢を更に悪くした白鵬に残された選択肢は、土俵を割るだけである。
稀勢の里に対峙する際は、むしろ普通の白鵬の方が対応しやすい。だが、今の白鵬のコンディションは良いとは言い難い。対する稀勢の里は絶好調だ。
オーソドックスでも危ない。
荒れた取組では相性最悪だ。
さぁ白鵬はどうするのか。
ラフに行くのか。オーソドックスに行くのか。いつかのように立合いの駆け引きに持ち込むのか。それとも、我々の想像も付かない手段で稀勢の里の弱点を露呈させるのか。
あの白鵬を誰か止めて欲しい。だが、あの白鵬が見せる新たな相撲も見てみたい。私の本音は、一体どちらなのだろうか。新たな歴史を目撃するためにも、明日の琴奨菊戦は今場所の鍵を握る。
明日は、どっちだ。
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荒れる白鵬を、誰がどう止めるのか。” に対して1件のコメントがあります。

  1. gyorui より:

    はじめまして。いつも楽しく拝読しております。
    おっしゃる通り、誰からも愛された白鵬はもう過去の人なのかなと思います。
    傲慢さが見えて残念です。懸賞金の受け取り方然り、力水を片手で渡すこと然り。
    相撲内容だけでなく所作にも落胆させられる点が多々あります。
    ところで、白鵬がそうなってしまったのは、自身の相撲の質が低下していることに起因しているのでしょうか?それとも圧倒的な成績故でしょうか?
    私は強すぎる白鵬をどこか疎ましく思っていた、私たちにあるのではないかと思っています。
    白鵬が敗れても万歳三唱などすべきでなかった。
    日本人力士の不甲斐なさへの憤りは、ただただ日本人力士に向けるべきだった。
    白鵬を愛していたのに、愛せていなかった私達、そしてメディア。
    見当違いですかね?
    もし一理あるのだとしたら、サッカーのジョゼ・モウリーニョ監督が得意としていたように、選手(力士)をメディアから守るシステムや人も必要なのではないでしょうか。
    あまりにも世論を扇動するメディアに、力士が無防備なほどにさらされているような気がします。
    私は大横綱白鵬関に対して、何か取り返しのつかないことをしてしまったような気がしてなりません。
    何か私達が「愛される」白鵬の、引退までの花道を作る手だてはないのでしょうか?
    長文、乱文失礼いたしました。

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