【吐合速報】史上最大の挑戦。前篇
元学生横綱でありながら二度に亘る
大怪我でおよそ二年の休場を挟み、
番付外を経験した平均的幕下力士、吐合。
29歳という年齢になり、
4勝3敗と3勝4敗を繰り返しながら
よく言えば切磋琢磨、悪く言えば頭打ちという状態が
ここ2年続いていた。
珍名故に好奇の眼差しから彼に注目し始めた
私ではあったのだが、この厳しい状況の中で
奮闘する姿から笑いの視点はもはや消え、
一人の力士として心から応援するように
変わっていた。
そして、先場所の5勝2敗を経て、
自己最高位付近で迎えた今場所。
誰もが予想だにしなかった快進撃を吐合は続けている。
碧空、東龍、勝誠、そして琴国を破り4連勝。
信じて良いのか、それとも春の椿事なのか。
だが、今日の相手は私の頭の中で
「絶望」の二文字が消えぬほど強大だった。
千代鳳。
幕下筆頭で、ここまで全勝。
つまり、来場所の十両昇進をほぼ手中に収めているのだ。
そして彼は19歳。
昇進を決めれば稀勢の里や千代大海に近いペースでの
スピード出世となる。
彼の実力は既に本物で、
先場所は6勝1敗だったのだが、本割で唯一敗れたのは
現在十両で圧倒的な実力を見せつけている阿夢露。
言い換えると、この2場所で千代鳳は
幕下クラスの相手に対して全勝しているというわけである。
十両クラスの怪物に対して、
幕下で一進一退を繰り返す吐合はどのように
立ち向かうのか?
立ち合いのぶちかましで相手の態勢を確実に崩し、
あとは組んだら電車道。
とにかく立会いの突破力が半端ではないのだ。
しかも、立会いで立ち遅れても潜り込んで
前みつを取り、気が付くと押し出すという
テクニックまで兼ね備えている。
まずは立会いを止めること。
そして、廻しを取らせないこと。
この二つを実行しなくてはならない。
はっきり言って、吐合にとって
これは十両昇進のラストチャンスである。
来場所以降不調に陥った時に
同じことが出来る保証は一切無く、
この勢いを借りて一気に決めてしまうことが
恐らくは最善の方法だからだ。
それは本人が一番良く判っていることだろう。
辛酸を舐め続け、同世代の力士が
次々と昇進をしていく様を
指を咥えて見ているしかなかった自分が、
8年目でやっとの思いで掴んだチャンスである。
膝に爆弾を抱え、復帰後も学生横綱を張っていたころの
相撲は戻らず、当時とは別の力士としての
相撲を再構築せざるを得なかった苦労は
計り知れなかったことだろう。
そう。
期するところが無いわけがないのである。
目の前に見える一世一代の大チャンス。
そして同じく聳え立つ、生涯最大の壁。
やれんのか?
吐合には、それがやれるのか?
土俵に立つ吐合。
儀式が短い幕下ではそんな感傷的な気分を
引きずる間もなく史上最大の挑戦が始まる。
続く。