旭大星引退。ドキュメンタリー映画「辛抱」から変わりゆく相撲界を思った理由。

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旭大星は様々な側面がある力士だった

旭大星が引退しました。

関取としての経験が十分にある力士の引退ということもあり、こういう時はどんな力士であっても見届けてきた思い出が過るので寂しいものです。

旭大星に関しては結構様々な側面がある力士でして、例えば北海道出身の関取だったということが挙げられます。

丁度旭大星が若かった頃に北海道の相撲が凋落の一途を辿っていまして、かつては北の湖や千代の富士を輩出したように相撲の中心が北海道という時代があったんです。

それが2000年代に入ると力士の層が薄くなり、遂に出身者の関取が途絶えるということがありました。

旭大星はそれを救い、今では一山本がバトンを受け継いでいます。

なので旭大星のアイデンティティを語る上で大事な側面として「北海道」は本当に大きいんですよ。今でも北海道出身者の層は相変わらず薄いのは変わらないんですけどね。

あとは柔道出身者で相撲未経験という側面もあります。

最近の大相撲には相撲経験者の入門が大部分で、旭大星のように複数の大学から柔道でスカウトされるようなアスリートタイプは激減してきているんですよね。

もしかすると、幕内昇進者の中でも相撲未経験で入門した力士としては最後かもしれません。時代の過渡期に入門してきた力士とも言えるんですよ。

ドキュメンタリー映画「辛抱」

で。

こんな風に普通に旭大星を語ってもいいんですけど、私にとって旭大星を語る上で欠かせない話があります。

それは、デビュー直後にドキュメンタリーを見たことがある、ということです。

フランス人監督による「辛抱」というタイトルの映画だったのですが、本当にたまたま、BSを見ていたら放送されていましてね。

普通の18歳の高校生が相撲部屋に入門することになって、高校の卒業式とか、相撲教習所で教わる様子とか、稽古しているところとか、大部屋で先輩力士と触れ合うところとか。

割と淡々と、少年が力士になっていく様子を映し出していたんですよ。

当時の流行だったと思うのですが、入門前の大串少年(旭大星のことです)は眉毛を細くて、それが年相応の高校生を彩る一つの象徴に見えたんですね。

相撲を取り、相撲界に順応していく中で、大串少年が力士:旭大星になっていく。

こういうのって日本人監督だとすると相撲の厳しさを受けて戸惑い、苦しむ様をドラマチックに描きがちなんですけど、そうじゃない分だけ事実を淡々と見ていくんです。

だけど、あれを見ると不思議と旭大星が気になるんですね。

それだけ装飾も演出も不要で、相撲っていうのはキツい世界であり、そこに入ってこなしている旭大星を応援せずには居られなくなるんです。

「辛抱」で映し出されていた、変わりゆく相撲界

あとね。

このドキュメンタリー映画が公開されたのって2009年のことなんです。

当時のことをあまりご存じない方からするとピンと来ないかもしれませんが、実は2007年に相撲界を震撼させた「時太山暴行事件」がありまして。

時津風部屋でかわりがりをした結果、若い力士が亡くなってしまった例の事件です。

当時相撲界の体質が批判されるきっかけになったのですが、その直後に外国人が監督を務める形で密着するとなるとどんな姿が映し出されるのか?という怖さもありました。

先ほど私は相撲界の厳しさということについて触れましたけど、厳しくはあるのですが理不尽さというのは特に映し出されていなかったんですよ。

本当に印象的だったのが、もう映像を振り返ることが出来ないのではっきりとは覚えていないのですが、確か旭日松(同い年の先輩)が

お前本当にうちの部屋でよかったな

他の部屋だったらもっと厳しかったぞ

みたいなことを言っていたんですね。

その時に妙にあ、なるほど、と思ったんです。

相撲界って本来こんなに優しくはないんだ、と。

旭大星引退を通じて、変わりゆく相撲界を感じた

確かに私自身、相撲の世界については色々と伝え聞いていたことはありました。

かわいがりなんていう言葉に置き換えられていますけど、指導は本当に前時代的で、暴力なんて当たり前のようにまかり通っていますし、兄弟子からのイジメなんていうのは通過儀礼みたいなものだと心得ていました。

創作の中の相撲でもそういうものは描かれていました。

90年代にビッグコミックスピリッツで連載されていた「おかみさん」という漫画(確か作者は女性だったはずです)の中でさえ、子供の私が見ていたら引くようなかわいがり・いじめの描写があったほどです。

ただ、当時の大島部屋って映像の中では少なくともそういうものを感じませんでした。兄弟子たちの様子が本当に自然だったんですね。恐らくあれは映像向けに繕っているという感じはしなかったんです。

相撲界って変わってきているんだな

っていうことを、旭大星が置かれた厳しい状況を思うと共に、別の側面から感じたんです。

今見るとどうなんですかね。

本当に理不尽が無かったのかは分からないです。

ただ、私の中で刷り込まれた旧来の大相撲の在り方とは別で、俗世間の感覚で見てもそれほど違和感がない世界が描かれていたと記憶しています。

ですから、旭大星の引退ということもさることながら、実は変化が求められ、そして変化してきた相撲界の16年間の歩みを一人の力士の歴史を追いかけながら私は体験してきたということなのかもしれない。そう思ったんです。

これは只の一人の力士の引退ではないんです。

旭大星を通して私は大相撲を見届けてきたということなんですよ。

いいことも悪いこともたくさんある中で、今でもやらなければいけないことは山のようにあります。

ただ、大相撲は当時から様々な側面において変化を迫られて、迷いながら歩んできている。その間に眉毛の細かった少年が関取:旭大星になり、燃え尽きた。

その重さを感じる引退だったんです。

次の16年。

大相撲はどうなるのでしょうか。

旭大星の第二の人生の成功を祈るのと同時に、そんなことを考えたのでした。

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