関取歴:10年、幕下以下:10年。持たざる北太樹の引退が特別である理由。

幕内、38場所。
十両、22場所。

関取歴、10年。
長くその力を発揮した力士だと思う。
しかし、振り返ってみると、エリートという訳ではない。

序二段を約3年。
三段目を約3年。
そして、幕下をおよそ4年。

そう。
関取になるまでに、実に10年を要しているのである。

決して才能に恵まれていた訳ではない。恵まれているのであれば、どこかを駆け足で通り過ぎているはずだ。この足跡を見れば、全てのステップを一つ一つ着実に上ってきた力士だということがよく分かる。

このような力士は普通、どこかで止まる時が来る。驚くべきは少しずつだが、でも少しずつ、前進を続けてきたということだ。幕下を長く見ていると、力士の多くが奮闘しているものの一進一退を繰り返していることを知ることになる。

三役にはなれなかったが、このような力士が努力を重ね、幕内に定着したこと。そして、関取をこれだけ長い間務めたこと。そこに私は感銘を受けてきた。

何よりも、北太樹が私にとって特別なのは、同い年で同部屋の力士が成し遂げられずに3年前土俵を去ったことを知っているからだ。このブログを長く読んでいる方ならそれが誰か分かるだろう。

デビュー当初、吐合は北太樹の7年積み重ねたキャリアを超える地位を手にしていた。感じるものが無いわけがない。対抗意識も有ったという話を本人から直接聞いたことがある。だが、吐合は膝を壊し、番付外にまで転落した。そして、幕下に戻り、一進一退を繰り返した。6連勝を飾り、あと一番というところで里山に敗れ、その後糖尿病を悪化させ、引退した。

その間、北太樹は8年余り関取だったのである。吐合が十年間全てを投げ打って掴もうとした関取の座を北太樹は守り抜いていたのだ。吐合が力尽き、次の道に進んだ後も、北太樹は闘い続けたのだ。

これがどれだけ大変なことか。

吐合が生涯最高の相撲を取っていたのと同じ地位で、燃え尽き掛けていた北太樹は先場所戦い、同じくらいの成績を挙げた。

関取になるまでに10年掛かった力士が、ガムシャラにすらなれない年齢で努力と工夫を重ねたからこそ、ここまで戦ってこられた。その意味の重さを、引退することによって私は知った。

私は北の湖部屋が好きだった。力士である以前に、どの力士も立派な社会人だった。初めて稽古を見学した時に私はそのことに気づかされ、大相撲に更にのめり込むことになった。あの時北の湖部屋に出会っていなければ、そしてその中心に居た北太樹に出会わなければ、このブログは吐合を見届けるだけで終わっていたことだと思う。

稽古は厳しかった。息を切らせ、地べたを這い、立ち上がれない力士に蹴りを入れ、髷を掴み、引きずり回す。凄惨な光景だ。だが私はそれを、ひどいことをしているとは感じなかった。番付が全ての大相撲の世界の中で、強くするために心を鬼にしていることが伝わったからだ。

相撲の大事なことを、私は北の湖部屋から学んだ。
そのスピリットを体現する力士こそが、北太樹だったのである。

惜しいというには、苦しい姿を見過ぎた。
お疲れ様と声を掛けるには、存在が惜しい。

私の中で特別な力士が引退したことの重さを、今思い知っている。頭の中は整理できているのだが、気持ちが整理できない。理屈は分かるのだが、感情がついてこない。

今は忙しさや別の興味によって紛らわせるしかないだろう。別れは堪える。特に、北太樹の引退は本当に堪える。

これからは北太樹の居ない土俵を、見届けよう。
喪失感を覚えながら。

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関取歴:10年、幕下以下:10年。持たざる北太樹の引退が特別である理由。” に対して1件のコメントがあります。

  1. shin2 より:

    北太樹のウィキペディアによると、
    >>相撲教習所時代は同期生曰く「誰も関取になるとは予想しなかった。」ようであり、教習所の稽古ではB土俵(主に相撲以外のスポーツの経験者が上がる土俵)とC土俵(特にスポーツ経験のない新弟子が上がる土俵)を行ったり来たりしていた。
    平成初土俵の力士で、こんなスタートラインから幕内まで上がったのは、うっかりすると彼で最後ではないか。
    水泳・サッカー・柔道の経験はあっても、オリンピック代表レベルに届くほどではあるまい。北の湖部屋で鍛えて強くなった力士だ。

    大道が小野川親方から音羽山親方へ名跡変更し、音羽山親方だった光法が相撲協会を退職したのと同時の引退・年寄小野川襲名だったので、一部のマスコミから「非情!貴乃花親方」とか書かれたりした。
    マスコミがリークしたりミスリードしたりするから、大相撲にはジャーナリズムが存在しないとか批判されるんだろうが、北太樹改め小野川親方には関係ないことだろう。
    >>山響親方(元前頭巌雄)は「痛い、と言ったら番付が落ちる世界。去年の名古屋場所では『やらないと落ちる』と言ったら、次の日からバンバンやっていた。大丈夫かと聞いたら『座薬入れてやってます』と。心苦しかった」と、弟子の頑張る姿に複雑な思いがあったことを明かした。
    >>https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201801150000645.html
    小野川親方の新しい人生に幸あれ、と祈る。

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