阿武咲が協会に残らないのは異例のことか、過去事例から検証した

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阿武咲の引退は驚きだった

阿武咲が先週引退を表明しました。

28歳という若さでの決断は驚きをもって受け止められました。確かにここ最近の成績は振るわず、初場所は幕下で迎えることが確定という状況だったこともあり、精彩を欠いていることは誰の目にも明らかでした。

ただ、まだ30歳を迎えていない訳ですし、かつてはベテラン扱いされた年齢であっても上がり目があるのが最近のスポーツ界です。玉鷲に至っては40歳を超えてもまだ衰えらしい衰えを見せていないですからね。

ですから、細かい事情を知らない私にとっても阿武咲の低迷というのは一時的なものではないかと感じていました。半年前まで前頭5枚目で十分に相撲が取れていた力士でもありますしね。

こういう状況で苦しい時によく「あの時は引退を考えて、師匠にも相談しました」みたいなエピソードってありますよね。今回の阿武咲の引退というのはかなり追い込まれている状況ではあるのですが、多くの場合これを乗り越えて前に進んでいくような状況でもあると思うんです。

ただ、話を聞いてみるともう限界だった、という談話が聞こえてきました。

18歳で関取になった力士ですから、消耗の激しい戦いに10年もの歳月を費やしたという側面で考えると無くもない話なんですよね。

そう。

同級生で最近燃え尽きていった貴景勝がそうだったように。

そんなところまで追いかけて欲しくはなかったですが、体格に恵まれない者同士が命を削って闘い続けたということの証明なのかもしれないと思うと、力士というのは本当に大変な仕事なのだと感じさせられました。

阿武咲が相撲協会に残らないという驚き

さて。

阿武咲についてはもう一つ驚かされたことがありました。

それは、相撲協会に残らないということでした。

美容の業界に再就職するという選択についても驚かされましたが、考えてみると最近人気力士たちが引退と同時に相撲協会から離れるというのは一つのトレンドと化しているんですよね。

松鳳山。

千代大龍。

常幸龍。

豊山。

このような人気と実績を備えた力士たちはこれまでに相撲協会に残ることの方が多かったようにも感じますが、最近続いていることもあって「またか」という印象が強い気がします。

そういえばここに名前が出た力士たちは不思議と大卒力士達なんですよね。そういう共通点が出てくると変に詮索してしまうところもありますが、単に偶然続いているということも考えられます。

こういうことって根拠はあっても実像が異なるということもありますからね。

そもそも、実績ある力士たちが引退後に相撲協会に残らないという決断については本当に最近だけ発生している非常事態と言えるのでしょうか?

これもまた、印象で語っている可能性もあるんです。

ですからここはまず、人気力士は本当に引退後に相撲協会に残っているのか?ということを検証してみたいと思います。

引退直後に協会に残らない力士はどれくらい居るのか

人気力士の定義については難しいところですが、今回に関しては最高位関脇と小結に限定して見てみることにしましょう。

年寄株取得の条件は色々ありますが、三役経験者であることと関取経験が30場所以上あることというのが分かりやすいラインだと思います。

ただ、関取経験30場所以上という条件だと多くの力士が該当するということと、いわゆる人気力士の定義として考えてみると最高位:関脇ないしは小結というのがしっくりくるところかなとも思います。

ということで見てみましょう。

6場所制移行後の1958年以降に引退した力士を条件に検証しました。

まずは、最高位関脇で引退直後に退職した力士です。

これに該当する力士は

岩 風

前田川

金 城

栃赤城

鳳 凰

追風海

隆乃若

阿 覧

逸ノ城

です。

85人中9人ですので、この条件だとかなり少ないんですよね。関脇経験者になるといきなり退職している力士はほとんど居ません。

ここ15年で見ても阿覧と逸ノ城しかいないですからね。

少し前を見ると追風海は政治の世界に、隆乃若は芸能界に。

それぞれが目指す世界がある中で相撲協会を選ばなかったという側面もある力士たちが並んでいるように思います。

私が子供の頃の力士で言えば鳳凰と栃赤城は実績があるのに幕下以下で相撲を取っていたかなり変わった力士だった記憶があります。

ではこれが最高位小結での引退直後に退職というパターンはどうか。

77人中24人がこれに該当しますが、その顔触れは

成 山

時 錦

豊 國

金乃花

沢 光

玉 龍

板 井

孝乃富士

巴富士

大翔鳳

舞の海

剣 晃

旭鷲山

千代天山

海 鵬

霜 鳳

露 鵬

黒 海

白 馬

臥牙丸

松鳳山

常幸龍

千代大龍

阿武咲

といった具合です。

一気に増えた感がありますが、これ、19人が平成以降なんですよね。

不祥事や本人の問題で残れなかった力士や外国籍というハードルから残らなかった力士、更には体調の問題があった力士を勘案すると年寄株を取得「できなかった」という力士は実はそんなに居ないんですよね。

そう考えると松鳳山以降で4人の小結経験者についてはそれらの問題は特になく、最近のこの傾向は異質と捉えられても仕方がない部分もあります。

親方になっても早期退職するケースもある

ただ、かつての人気力士、実力者が相撲協会に残らなかったというパターンは実はもう一つあります。

引退直後は残ったのですが、数年で退職というパターンです。

この場合、借株は工面できたものの年寄株の取得には至らなかったために退いたというケースが多いという訳で、今回の阿武咲の事例に似た部分があると言えるでしょう。

比較的早期に退職した元関脇からまずは見てみましょう。

若前田

信夫山

羽黒花

海乃山

明武谷

若見山

荒 勢

蔵 間

闘 竜

琴ヶ梅

琴富士

貴闘力

若翔洋

豊ノ島

ここに該当するのは14人でした。

85人中直後退職が9人に加えて早期退職が14人ですから、4人に1人はこのパターンということですね。

ただ、早期退職の力士をピックアップしてみても最近の力士は豊ノ島くらいで、相撲を40年近く見ている私でさえ現役時代を見ていない力士の方が多いんですよね。

なお、それぞれの力士の引退時期は昭和40年代と平成一桁が多いように見えます。逆に50年代は即引退の力士もあまり見当たらない。

では小結の方はどうでしょうか。

龍 虎

玉輝山

花乃湖

前乃臻

陣 岳

三杉里

旭道山

浪乃花

和歌乃山

即退職のパターンに比べると今度は人数がかなり限られていますし、これもまた最近の事例が非常に少ないように見受けられます。

そして今回のパターンも平成一桁に引退した力士が大多数を占めています。

昔から人気力士でも協会に残らない事例は結構ある

つまりここから分かること。

それは、人気力士や実績ある力士であっても年寄株の取得に苦労する時期と比較的そうではない時期があるということでしょう。

確かに名跡は105あるわけですから、力士の引退と親方の退職の需要と共有がいつもマッチする訳ではなく、今は引退力士の供給過多な状況とも言えるのではないかと思います。

この話になると、年寄の定年再雇用について言及される方も居ますが、これに関しては導入から5年以内であれば制度によって割を食う力士が居ることにはなります。

ただもうその時期は過ぎていますので、再雇用の親方もスライドして退職する段階に来ています。そのため制度の見直しを掛けて一斉に再雇用の親方を退職させたとしても一時的な効果を持つのみになってしまいます。

早期退職者や即退職した力士たちの顔ぶれを見ると、荒勢や蔵間、龍虎といった面々も居て、退職後にお茶の間の人気者として活躍しています。

最近は「推し活」という見方をするファンの方も多いため、実績と人気を備えた力士の退職については大きく取り上げられる傾向にあると思います。蔵間のような力士が仮に相撲協会から退職するとしたら、相当な騒ぎになるのではないでしょうか。

当時も退職を嘆く声はあったと思いますが、SNSがあるということ、そして推し活という視点が強まった結果が協会に残らないことへの批判を強めていることも事実です。

あと、協会に残るという選択肢は今引退する力士にとっては選択肢の一つになりつつあるとも言えるでしょう。

推し活が広まっていることを考慮すればYoutubeという選択肢もあれば、知名度を活かして商売をすることも出来ます。役者として成功する力士だって現れてきているのですから、年寄株の取得に莫大な金額が必要なことを考えると、どちらも魅力的で、リスクもあるという訳です。

そもそもプロスポーツの世界において引退後も指導者や解説者といった形で競技に関わらない、関われないということは普通のことです。

そしてそれは、相撲の世界でも今まで普通だったことです。舞の海だって協会には残らなかったわけですからね。

推しは勿論のこと、人気も実績もあるような力士であっても別れが訪れることは、歴史的に見ても受け入れないといけないことだとは思うんです。

ありふれた締めにはなりますが、

つまりね、

「推せるうちに推せ!」

ってことです。

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