北の富士さん死去に伴い偉大な3つの功績を語る

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北の富士さんの訃報は「来るべき日が来てしまった」

北の富士さんが亡くなりました。

このニュースは昨夜驚きをもって受け止められたように感じましたが、私個人としては少し異なる感想を抱きました。

この2年解説として登場しないことや、82歳という年齢から悪い知らせに対して心の予防線を張って待っていたように思います。

ですから、来るべき日が来てしまったというのが最初の感想でした。

ショックを受けないように準備をしていたということは北の富士さんがそれほど大きな存在ということの裏返しなのですが、場所前にNHK専属解説者として新たに琴風さんが就任したことはその予感を更に大きなものにしていました。

解説者としての復帰を望む声は分かるのですが、80を超えた方に対して更にまだ求めるということは酷なのではないかとも感じていた矢先のことでした。

しかし、ここまで予期してきたこととはいえ、いざその知らせを目の当たりにすると流石にショックだったことは否めません。予防線を張りながらもひょっこりまた復活することを願っていましたから。

北の富士さんの3つの偉業

さて、北の富士さんが亡くなったことに伴い、その功績について振り返りたいと思います。

これについてはもう、素晴らしいとしか言いようが無いです。というのも、北の富士さんは3つの偉業を成し遂げているからです。

まず、横綱として一時代を築いたことです。

大鵬、北の湖という二人の偉大な横綱に挟まれるような形でかなり難しい役回りだったことに加えて、時代を一緒にけん引するはずだった玉の海が現役中に急死するという不幸に遭いました。

国民栄誉賞を授与するような偉大な横綱からバトンタッチを受けた後で良きライバルを失った。

このような状況の中で一人第一人者として土俵を支えねばならない。しかも次世代には輪島と北の湖という不世出の力士たちが控えていた。

一時は不振に陥りながらそこからまた盛り返したのですから、力士として強いことは間違いないのですが、その精神的な強さは特筆すべきものがあると思います。

そして引退後は九重部屋を引継ぎ、千代の富士や北勝海といった力士たちを育て上げました。

「名選手名コーチにあらず」 というのはどこの世界でもよく言われることですが、北の富士さんに関してはその限りではありませんでした。

相撲の世界を見ても大鵬や北の湖は大関以上の力士が育てられませんでした。

立派な部屋を持ち、後援者が居て、更には現役時代の足跡を知る若手が慕って入門してきているというのに大きな花はなかなか咲かせられないのです。

千代の富士に関しては若いころは大きな相撲を取ってケガをするという悪癖がありましたが、そんな頃に指導者として携わっていたのが北の富士さんですからね。

二人の横綱が強いだけではなく当時の九重部屋には孝乃富士や巴富士といった三役経験者も居ました。44歳の私が最初に見た強い部屋が九重部屋だったと記憶しています。

北の富士さんの独自の解説の魅力

ただ私たちの世代にとって印象的なのは、3つ目の偉業なんです。

北の富士さんの3つ目の偉業。

それは、NHK専属解説者としての顔です。

ご存じの通り北の富士さんの解説は決して技術的なことを細かく分かりやすく教えてくれるわけでもなければ、力士の心情に寄り添うようなタイプのものでもありません。

思ったことを率直に話す。

本来だとこれは解説としては怒られるようなスタイルかもしれません。

同じようなことを他の親方や元力士がしたならば、恐らくなかなか受け入れられないのではないかと思います。

しかし、北の富士さんだとそれが通ってしまう。すごく不思議な解説だったんですよね。

そもそも北の富士さんのNHK大相撲に於ける立ち位置を「解説」と定義して良いかはよく分からないところがあります。

ただ「解説:北の富士」は私たちの相撲中継には無くてはならないものでした。

あの愛嬌ある語り口、愛される人間性があるから楽しんでいられる。

そしてその率直な物言いというのは視聴者の想いを代弁することも多かったわけです。

このあたりのズレの無さというのも素晴らしいものがあったと思います。まぁズレていてもそれが愛らしかったので「視聴者の想いを代弁してくれないから駄目だ」ということもなく済んでいたように思います。

それとは対極の位置に居る舞の海さんとのコンビが実によかった。

舞の海さんは視聴者の想いを先回りして話そうとする頭の良い方ではあるのですが、どうしてもそのあざとい部分については時に鼻につく時もあるわけです。

その舞の海さんに対するちょっとした小骨の刺さったような違和感を北の富士さんがグサッと刺すこともあれば、舞の海さんの振りを受け流してしまうこともある。

これを天然でやってしまうのですから見ていて面白い。

舞の海さんの解説は賛否の「否」が非常に多い印象にありますが、北の富士さんが加わることによって本当に上手く中和されていたように思います。

大横綱なのにカジュアルという異質な魅力

北の富士さんは80を超えても「勝昭さん」と呼ばれていました。 別に誰がそれを求めたわけでもなく、実に自然な形で広く親しまれた呼び名だったんですよね。

考えてみてください。

80を超えたおじいちゃんのことを、孫のような世代が下の名前で呼ぶなんてありますか?

つまりね。

北の富士さんって本当に特殊な存在だったんですよ。

名横綱で、名伯楽で。

だけど下の名前で呼ばれるようなとてもカジュアルさがある。

ネット上では「勝昭さん」ではなく「勝昭」とさえ呼ぶ層が一定で居ますからね。

私はこの呼び方は本当に嫌だったんですけど、でも「さん」すら取り払って呼び捨てで呼ばれる老人って凄くないですか?

これだけ実績があったらもっと近寄りがたい雰囲気もあるし、自分のやってきたことを誇示するような部分が少なからず出てしまいます。

北の富士さんに関してはそれ、皆無ですもんね。

自分の時代の前後が大横綱で、相撲協会から去ったという立場(政争に敗れたという説もあります)だったからこそ、成し遂げてはいるけどどこかで謙遜するようなところもあって。

親しみやすいおじいちゃんが和服をビシッと着て、時には赤い革ジャンに白いGショックを身に着けてすっとぼけたことを言っている。

そんなNHKの相撲中継が私は大好きだったんですよ。

健康寿命が長かったから相撲界に貢献できた

あとは、北の富士さんは看取る立場だったんですよね。

それはもう、ライバルで良い友だった玉の海さんを現役中に亡くしたときから始まっていました。

先輩の大横綱である大鵬さん。

後輩の大横綱の北の湖さん、輪島さん。 そして弟子である千代の富士さん。

更にその次の世代である曙さん。

53年間、様々な世代の名力士たちを見送ってきた。 82歳というのは横綱として、そして力士としては異例の長寿です。

また、元力士はどうしても生きていても若くして大きな病気を患うこともあります。大鵬さんがその代表例ではないでしょうか。

小さな病気に関してはあったのでしょうけど、2年前までは相撲解説を務めてきた。

本当に長い間、相撲界のために貢献してきたんですよ。それが、北の富士さんの最も誇れる部分じゃないかと思うんです。

相撲界に貢献したくても志半ばでその道を絶たれる名力士が多い中で、北の富士さんはそれが出来た。

私は昨年元寺尾の錣山親方に「はじめての相撲」という著書を監修していただきましたが、寺尾さんは発売の2日前に入院され、そのまま亡くなってしまいました。

感謝の言葉も掛けられないままだったという心残りがその想いを深めているように感じます。

北の富士さんの功績の大きさを語ると、これから土俵を去る力士たちが長く健康を維持しながらずっと相撲界のために貢献してほしいと願わずには居られません。

素晴らしい人生でした。

ありがとうございました。

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