大の里の異変。乗り越える様を見届けよう

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大の里に異変が生じている

大の里の様子が少し変わってきています。

7日目を終えて5勝2敗。

悪くはないと捉えることも出来るかもしれないですが、当然史上最短で大関に昇進した力士への期待を考えると異なる結果と言えるでしょう。

阿炎を相手に先手を取られ前に出てきたところを土俵際で投げられた1敗目はあそこまで強引に攻めに行かなければとも思いますし、形が出来ていない状態で前に進んでいく悪い時の大の里が出てしまった一番でした。

一方若隆景戦では立ち合いの当たりが中途半端で、全く狙いが見えないものになってしまいました。若隆景が有利になったところで今度は引いてしまい、立ち合いの展開の中で全てにおいて付け入られるという内容になりました。

いずれも先場所に敗れている相手に対して悪い内容が出てしまったという意味で、修正が出来ていないということもさることながら精神面に対して言及する方も当然多く居ます。

そりゃそうです。

5場所中4場所で優勝争いに絡み、2場所では優勝している力士の異変については大関昇進という大きな変化があったわけですからね。

大関昇進直後だと後の大横綱でも力が出せない

そもそも大関昇進したあとの力士が力を出せないというのは一般的なことである、という話は先日のブログ記事でもお伝えした通りです。

その時の記事はこちら。

大横綱になっている力士の多くが大関を1年以内で抜けていますが、1年以内に横綱昇進した力士に共通して言えるのは昇進直後の場所で精彩を欠いているということでした。

何しろ上記に当てはまる力士は基本的に10~11勝。 北勝海だけが12勝ですから。

この記事を書いた時には大の里には前例を覆してほしいという想いがあったものの、仮にそうなってしまったとしたら仕方がないことだとも感じていました。

母数が少ないとはいえ、不思議なほどに共通していることは事実で、「過去は過去である」と割り切れるようなそれには見受けられなかったからです。

逆にその見方を押し通してしまったとしたら、相手を理解し、分析するという視点からは大きく外れてしまいますしね。

かといって求める水準を下げるというのもまた違う話です。

大関というのはそれだけ責任ある立場ですし、求めるものは求める。物足りなければ厳しい声が挙がることは否定しないし、それでいいと思います。

地位が力士を守ることもある

最近の大関は非常に厳しい状況にあると思います。 昇進してから精彩を欠く力士が後を絶たないからです。

高安に栃ノ心、正代や御嶽海に加えて霧島といった力士たちは短期間で陥落していきました。

彼らにはケガと高齢での昇進という二つの側面があり、長期にわたって大関を維持できるタイプとは異なる特徴を持っていたことは事実です。

その時の音声配信はこちら。

大関戦になると多くの力士が積極的になり、高いパフォーマンスを出しているようにも感じられます。

ただ。

大関が相撲界の顔だからこそ力を与えられることも事実です。

例えば大の里の九州場所初日の相手は平戸海でした。

立ち合いから平戸海の展開になり、かなり危険だったと思います。 しかし勝ちに来た平戸海はこのまま攻め続け、まだ余裕のあった大の里は土俵際で残って勝ちを拾いました。

大関や横綱はこのように相手が弱者の戦略を取ってくることもあるので、仮に自分の相撲が取れなかったとしても自滅に近い形で勝てることもあります。

これが近い地位の力士や格下だったとしたらもっと勝つ確率を上げる相撲を取りに来ることでしょう。

弱者の戦略だからこそ勝てる時もありますが、地位に守られるということもあるわけです。

今は大の里に必要な過渡期なのかもしれない

今の大の里は大関になることによって二人を相手にしているように見受けられます。 目の前の力士と、自分自身です。

阿炎と若隆景に敗れたのは事実ですが、9月場所で敗れたという残像がちらついていることや大関としての責任からか、勝ちたい気持ちに駆られて無理に攻めたり相手に合わせて中途半端になったりと、自分自身の気持ちとの闘いの中で弱さを見せる形になっています。

自分の相撲をシンプルにぶつけに行けていた頃とは異なります。番付を駆け上がっていた頃は勝てば誰もが称賛してくれましたが、今はそれが当然です。

敗れたら真逆の反応が返ってきてしまいます。 地位によって強さが更に求められることが勝ちたい気持ちを煽り、相撲のバランスを崩してしまっていると思うんです。

ただ。

これは横綱を目指す大の里にとって大事な過渡期でもあると思います。

大関になった後でそうした葛藤も無くシンプルに同じやり方をぶつけられたとしたら違う結果になっていると思いますが、果たしてそこに感情移入できるでしょうか?

私たちは今、大の里の成長過程を見ているのです。

大関の持つ難しさに直面し、今まで通りに勝てないという事実を受け止める。今はその段階です。

大相撲というのは精神論を説かれることが多い世界なので、成績が上がらないと迷走しがちです。

単に技術や戦略で解決する話なのかもしれませんが、自分自身の弱さに帰結して語られることが多いので、良くも悪くも人間的な成長が求められます。

大の里が今の状況を打開したときは、力士として人間として直面している課題を克服したときなのではないかと思います。

そうしたものを見届けることが、スポーツを見る醍醐味ではないでしょうか。

結果を出すスーパーマンではなく、結果が出ず人並みに悩む姿があるからこそ、次のステージに進んだ時に力士との絆が生まれます。

大の里でもこのような壁にぶつかったのは残念である反面、乗り越える過程を共有できるという楽しみが出来たと捉えることも出来ます。

恐らく九州場所はこれからも難しい相撲、難しい場面がいくつも出てくると思いますが、この場所を経験したことが横綱に昇進したときに大きな財産になると思います。

さぁ、今日も大相撲と大の里を見届けましょう。

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