豊昇龍琴櫻の千秋楽相星決戦に望むこと

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番付の強さを語る上で2024年は大関優勝が欠けている

今場所はずっと大関が良い結果を残してほしいと言い続けていました。

それは2023年から番付が正常に機能し始め、実力に見合った成績を上位の力士が残すようになったからです。

これは別に印象で語っているのではなく、年間50勝以上した力士のグループとそのほかの力士たちの間に明確に差が付いていることがデータ上明らかになったからです。

また2023年は全ての優勝が関脇以上で、関脇だった力士も大関へと昇進していったこともその理由として挙げられます。

2022年までは団子状態だったものが、ようやく変わってきた。

だから今年もそうなると思いきや、照ノ富士が2回優勝し、新入幕の尊富士が3月に優勝、更には大の里も2回優勝して九州場所には大関に昇進しました。

番付崩壊が再来したように見えるかもしれません。しかし照ノ富士は横綱なので当たり前のことですが、大の里はとんでもない可能性を持った力士が史上最速の偉業を成し遂げたのですからこれはフロックではありません。

尊富士だけは2025年以降を見ねばなりませんが、復帰後は十分に「実は逸材だったから優勝した」という可能性を残しています。

つまり2024年もまた、基本的には実力者が優勝した年だったと言えるわけです。

しかし、番付を雄弁に語るという意味では大関の優勝が今年は欠けていました。

2桁勝っても格下が優勝したら大関は不合格

豊昇龍と琴櫻はデータ的に見れば大関として合格点である2桁勝利の割合が歴代大関の平均を大きく超えており、ここまでの実績は十分に評価できるものを残しています。

ですから、客観的に見ると良い大関だと言えるわけです。そのことを講演でもブログでもたびたび説明してきました。

しかし、客観的な数字を見せても「休場が続いた横綱やポッと出の力士に優勝をさらわれた番付上位の力士たち」という評価にどうしてもなってしまうんです。

いかに大の里や尊富士が逸材であり、現段階で優秀であったとしても、彼らに優勝を許すことは許容できない。

それは豊昇龍と琴櫻が大関だから、としか言いようがありません。

たとえ世間が大関の合格点を2桁勝利と認めていても、番付が下の力士たちに敗れてしまえばそちらの印象の方が大きくなるんです。

それは結局、彼らが昇進のあいさつの時によく語る「大関の名を汚さぬよう」という部分に掛かってきてしまうのかなと思います。

それだけのものを背負った時にどうしても難しい部分は出てきてしまいます。

背負わない強さと背負った強さは違う

そしてその難しい部分に直面したのが、今年2回優勝し、4回優勝争いに絡んだ大の里でした。

この逸材でさえ、九州場所は勝ち越すのがやっとという状態です。

重いものを背負い、ある面では職責を果たしながらも、一番大事な部分について果たせていなかった二人の大関が今場所は持ち味を発揮しています。

ここまで今年の大相撲を引っ張ってくれた大の里に対して先輩大関として背中を見せているのです。

大関は立場を背負い、相撲界の顔としての役割があります。関脇以下の力士たちとは根本的に違うと言って良いでしょう。

ですから昇進前の水準である3場所33勝を大関昇進後に達成できる力士は半分居るか居ないかという程度なのです。

背負わずに強さを見せるのと、背負って強いのは意味が違います。

そう考えると背負った後でどうなるかがまだ見えない二人に対して「大尊時代」という言葉で次の時代を期待するのは豊昇龍と琴櫻に対して失礼な行為だったのかもしれません。

関脇以下の力士たちは勿論、手が付けられない存在になりつつあった大の里を二人が共に退けたというのは背負ったものが見せた特別な強さだったように感じました。

豊昇龍はとても残せないようなところから手を手繰り、琴櫻は強い圧力を受けながらも右を許さずに退けました。

この期待が来場所以降も持てるかは分からない。だけど

13勝1敗同士の千秋楽相星決戦を迎えるのですから、どちらが勝っても優勝ですし、敗れても「優勝に準じた成績」ということになることが予想されます。

(流石にこの敗戦で準じていないと見るのは少し気の毒に思えます)

となると、二人とも1月は綱とりが懸かるということになるでしょう。それだけ立場的にも期待値は更に上がるということです。

大関としてはまだ1場所で優れた成績を残しただけであって、霧島だって綱とりが懸かった直後に大関の座を明け渡していますから、この先何が起きるかは分かりません。

大の里が来場所は本領を発揮することも考えられますし、今場所の序盤や中盤で拾ったような取組、例えば豊昇龍だと熱海富士との一番を落としてしまうようなことだって十分に考えられます。

あくまでも私たちは、今場所好調な二人を目撃しているに過ぎないのかもしれないのです。

人は目の前でポジティブな出来事が起きるとそれが続くことを望みます。

尊富士と大の里が頭打ちになっていないからこそ「大尊時代」という言葉が使われるようになりました。

千秋楽の前日には、豊昇龍と琴櫻の明るい未来を語る声が絶えません。 大の里と尊富士に薄情にも思えますが、そういうものです。

豊昇龍のスピード感あふれる攻めと、守りに入っても投げが待っている強さ。琴櫻のどう攻めても崩れにくい体幹の強さと柔らかさが持つ強さ。

この強さがこれからも当分続くような期待感が見える熱戦を、今はただ願っています。

振り返るとそれは過大評価になってしまうかもしれません。

だけど、今回のように14日間で人の評価なんて変わります。

後で落胆しても、今はそれでいいと思うんです。

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