今こそ横綱審議委員会を審議しよう

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照ノ富士の動向について横審が発言したが・・・

場所後の横綱審議委員会の委員長の会見の様子が記事になっていました。

千秋楽相星決戦に臨んだ二人の大関を称賛し、来場所のダブル昇進に向けての期待を語るというのは目くじらを立てる必要のないものでしたが、かなり気になることがありました。

それは、照ノ富士を巡る発言です。

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横審の山内昌之委員長(東大名誉教授)は「照ノ富士は巡業にも参加し、相撲全般に様々な貢献をしつつ、体調の回復、リハビリに努めている。(九州場所では)若い力士が台頭し、大関(琴桜と豊昇龍)が千秋楽で高いレベルの相星決戦になり、充実した結果になった。今回の結果から彼自身が多くの刺激を受け、いずれ自分の後継者になる力士たちの活躍についても安心し、自分自身のいろいろな問題について納得できるような道筋や条件を模索するような基盤が出てきたのではないか」と横綱を取り巻く状況を指摘した。 

その上で「照ノ富士の日ごろからの精進や努力を勘案し、私たちとしては次の場所等々を含めて、土俵に復帰することを含めて照ノ富士が最善の判断をするように期待している」と復帰や進退の判断を本人に委ねることを強調した。 

さらに、横審として「激励」「注意」「引退勧告」などの決議を行うことについては「そういうことは考えていません」と否定。引き続き静観する構えを示した。

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記事はこちら。

とりあえず現時点では進退に関しては不問ということのようです。

別に私は照ノ富士の現役続行に対して疑問を抱いてはいないのですが、横綱の在り方として100パーセント肯定できるかと言えばそうではない部分があります。

2年間で皆勤が3場所のみの横綱を果たして許容して良いのか?というモヤモヤした部分がそれに該当します。

個人的には横綱というのは休む権利があり、地位が落ちることが無い訳ですから、出場したときには結果が求められる。

そのため、出場した場所で結果が出ないのであれば厳しい目で見られることは仕方がないというスタンスです。

ですから、出場しないこと自体はある程度は仕方がないことではあると思っていますが、では年間の四分の一しか皆勤が無いとなると是非の判断は難しいところがあります。

少なくとも激励や注意は不要というだけの見解ではなく、この何とも言い難い部分について向き合って横綱審議委員会としての意思を示してほしいとは思うんです。

かつての横綱審議委員会は苦言が多く「老害」的だった

私が相撲を熱心に観始めた2011年辺りの頃から横綱審議委員会のスタンスは大きく変わってきたように思います。

というのも、当時の横綱審議委員会というのはいかにも「老害」というスタンスだったからです。

結果が出ない力士に対して単に厳しく、誰がどう見ても悪いことに対しては批判の声を挙げる。

まぁつまり、サンデーモーニングのあのコーナーを組織として行っているような、そんな人たちだったということですね。

だから当時の横綱審議委員会についてはかなり冷ややかな目で見られていたことが懐かしいです。

私は白鵬が横綱後期に荒れた一因は横綱審議委員会にあると思っています。

というのも、土俵内外で荒れ始めた頃に諫められなかったんですね。

その頃というのは2011年頃に相撲の強さを体現し、土俵を守った恩人としての側面が強くて苦言を呈しにくかったということも影響していたように思います。

あの頃に注意することが、白鵬を守ることに繋がったと思います。また、それが出来るのは横綱審議委員会だけだったんですよ。

でも、それが出来なかった。

その結果、今に至るまで尾を引いてしまっている。

あの時点で相撲のすばらしさを広く伝えていた白鵬に引き戻すことが出来ればもっと大横綱として、指導者として多くの方の尊敬を集め、愛される存在になれたと思うだけに、当時の及び腰の横綱審議委員会のスタンスは本当に不満でした。

故に私は当時スポーツナビブログで「横綱審議委員会審議委員会」という遊びを始めました。

その名の通り、横綱審議委員会の言動を審議しよう、ということです。

かなりふざけた試みでしたが一石を投じる結果になり、後年デーモン閣下とやくみつるさんの共著でも「横綱審議委員会を審議する委員会が必要」という趣旨の発言が出てきたときには思わず笑ってしまったほどでした。

今の横綱審議委員会は職責を果たしているのだろうか

当時のことを思うと、今の横綱審議委員会はかなり穏やかだと思います。

言い換えると、賛否別れるような発言はしていないということです。

これはどういう意図かは分かりません。 単純に今の横綱審議委員会の方針がファンの感情を逆なでしないものになってきたということなのか、ファンに阿っているのかは発言からはうかがい知ることは出来ません。

ファンの感情を逆なでしないことが意味するもの。それは苦言を呈することが無いということです。

力士に優しく、動向を見守る。 これがもし、横綱審議委員会として本当に対応が不要だからこそのことであればいいんです。横綱が職責を果たしているというだけのことですから。

ただ、今回のように照ノ富士の横綱としての在り方は誰がどう見ても100%肯定できるたぐいのものではないわけです。

このような時こそ、横綱審議委員会の出番です。

しかし、あくまでも出てきた言葉が優しいものだった。

普段厳しいことも言う人たちが優しいのとは訳が違います。普段からハレーションを産むようなことを言っていない人たちが今回も様子見をしている。

今のスタンスを見るとそんな風に感じざるを得ないのですよ。

横綱審議委員会を審議することが大事ではないか

正直なところ、私が思うに今の在り方だと横綱審議委員会の存在意義が無いと思っています。

誰がどう見ても悪いことが起きたら批判をして、賛否が巻き起こりそうな自体には結果的に日和見。そして良いパフォーマンスを見せたら賞賛する。

これ、ネット世論やメディアの言論と何が違うのでしょうか。

横綱は孤独なものです。

実績を重ねれば重ねるほどに、制御するのは自分自身だけになってしまいます。親方ですら物申せないケースもあるなんて話も聞きます。

そうすると、最後の砦になるのが横綱審議委員会なんですよ。 これって機能していれば本当に有意義なものだと思います。

横綱としてのあるべき姿を有識者がキチンと把握し、力士とファンに嫌われる覚悟を持ち、ただ横綱像に対してのみ誠実であれば抑止力になりますからね。

また、横綱像というものを世間に広く伝えるという意味でも果たす役割は大きいです。

今の時代は推し活文化が多くの方に広がりすぎて、悪い側面として力士を猫っかわいがりする方が増えてしまっている。

つまり、正しい知識から厳しいことを言いづらい傾向にある。

SNSでは休場をしている横綱に対して暴言めいた形で批判する人は居ます。ただ、そういう意見については正しい知見とバランスに基づいて言っていないので、単なる悪態になってしまう。

厳しいことを言うこと自体、本当に憚られる世の中になっているんです。

だからこそ横綱審議委員会は2024年に正しく機能させる必要があるということです。

皆さんは、今の横綱審議委員会の在り方についてどう思いますか?

果たして横綱審議委員会は組織としての職責を果たしていると言えるのでしょうか?

横綱審議委員会の現在の在り方を協議する「横綱審議委員会を審議する」ということが今は求められているのではないかと思うのです。

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