大関昇進1年以内の綱取りは、どのような結果になっているのだろうか。データから霧島の今後を占う

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2024年初場所の最大のみどころは霧島の綱取り

大相撲初場所を語るポイントは非常に多い。

照ノ富士の久々の出場、琴ノ若の大関獲り、熱海富士の初の上位総当たりなど、言い出したらキリが無い。師匠を亡くした阿炎や地元が震災の影響を受けている力士たちの活躍という視点まである。どの力士も良い結果を残してほしいと思うが、そうはいかないのが大相撲の難しいところだ。

ただ、初日を迎える段階での最大のポイントは霧島の綱取りで間違いないだろう。

先場所の霧島は本当に強い内容だったし、勢いに乗る熱海富士を破った相撲は上位力士としての役割を十二分に果たすものだったと思う。

高安以降の大関は怪我などの影響もあるが、地位が逆に力を奪っているようにさえ見えたことから、番付と結果が一致するという難行を達成したということも非常に大きかった。

つまり、霧島の凄いところは大関昇進して間もないのにその役割を果たしているという点にあると言えるだろう。

霧島の綱取りが異例なのは、大関昇進直後だということ

さて。
霧島は11月場所に優勝している訳だが、大関昇進後すぐに綱取りというのはあまり記憶に無いようにも感じる。

それは前述の事情もあるが、最近大関昇進後すぐに横綱に成った事例が無いからだ。照ノ富士はそれに該当するという見方もあるが、最初の大関昇進からはかなり苦労しているとはいえると思う。

そもそも大関昇進後すぐに綱取りという力士は過去にどれだけ居たのだろうか?そして気になるのは綱取り失敗した力士は果たしてどのようなキャリアだったのか?という点だ。

少し例は異なるが、初優勝が懸かった場所で優勝を逃すとその後終盤戦でなかなか力を発揮できないという事例も少なからずある。恐らく思いうかべる力士の名前もある程度共通しているだろう。

一度壁に当たった力士がその後再度チャンスを掴み、そして壁を乗り越えて横綱に成っているのか?

もしくは綱取りを成し遂げられずに引退しているのか?

過去の事例をデータから調べた。

なお、今回の綱取りの定義として「大関昇進後の優勝翌場所」ということで基本的には分析しているものなので、この点はご了承いただきたい。

大関昇進後1年以内に横綱昇進している力士も少なからず居る

まずは、大関昇進後1年以内に横綱昇進している力士を見てみよう。

※今回のデータは年6場所制以降を対象としています

■大関昇進後1年以内に横綱昇進している力士:

・大鵬:5場所
・輪島:4場所
・北の湖:3場所
・千代の富士:3場所
・双羽黒:4場所
・北勝海:5場所
・曙:4場所
・朝青龍:3場所

北勝海は大関昇進翌場所に12勝しているが、曙は全休、朝青龍と双羽黒と北の湖と大鵬は10勝と、これだけ昇進が早くても最初は躓くのが大関の難しいところと言えると思う。

昇進した後はパーティなどの催しものが多く、なかなか相撲に集中できないなどという話を聞くこともあるが、これは本当になんとかならないものだろうか。力士の応援をしているつもりが、足を引っ張ってしまっては本末転倒だからだ。

余談だが、一説によると力士の名前が大きくなればなるほど後援会の数も増え、互いの対立が生じることも少なくないらしい。「一説によると」や「らしい」というという言葉の力を借りねばならないデリケートな話題ではあるが、応援する者同士で共存できないというのは一体どういうことなのだろうか。

閑話休題。

ともかく、大関昇進というのはやはり力士にとってかなり大きな変化をもたらすもので、そこからすぐに横綱というのは難しいということがよく分かるだろう。

ただ、大関昇進1年以内の横綱昇進事例というのはそれほど珍しいことではないことがこのデータからわかるだろう。

一方でこのパターンが朝青龍が最後ということもあり、最近ではあまり見ない事例とも言えるのではないかと思う。(恐らく同じ時代に白鵬という大横綱が君臨していたことが少なからず影響していることだろう。)

昇進直後の綱取りに失敗した後で横綱に成った力士も結構いる

では、大関昇進1年以内に順調に優勝したものの、最初の綱取りで昇進を逃した力士たちはその後どうなっているのだろうか。

まずはその後横綱に昇進した力士がどの程度居るのかを見てみたい。

■大関昇進後1年以内に優勝し、1度は綱取りに失敗したあとで横綱に昇進した力士:

四股名 大関初優勝 横綱昇進
朝潮 昭和33年3月 昭和34年5月
柏戸 昭和36年1月 昭和36年11月
北の富士 昭和42年3月 昭和45年3月
琴櫻 昭和43年7月 昭和48年3月
若乃花Ⅱ 昭和52年5月 昭和53年7月
旭富士 昭和63年1月 平成2年9月
貴乃花 平成5年5月 平成7年1月
武蔵丸 平成6年7月 平成11年7月
白鵬 平成18年5月 平成19年7月
日馬富士 平成21年5月 平成24年9月

これを見て分かるのは、力士によってタイプが異なるということだ。

一度は綱取りに失敗しても、すぐに次のチャンスを掴み、そこで一気に横綱に成った力士も少なくはない。このタイプだと朝潮、柏戸、二代目若乃花、白鵬といった面々が挙げられる。

ただ、後の横綱なので全ての力士が漏れなく優秀であることは間違いないが、横綱としての比較という意味で考えると「綱取りに一度失敗した後でチャンスを掴める力士は大横綱になる」ということは必ずしもイコールではないと言えるだろう。

また、大関初優勝から綱取りまでに時間を要した事例で言うと琴櫻と武蔵丸の約5年がかなり目につくところだ。私の仮説としてはむしろこのような事例が多くなるイメージだったが、仮説と実際の数字が異なるというのはよくあることだ。

最初の綱取りで失敗すると、その後かなり苦労するということには必ずしもつながらないということがこの事例からも分かるだろう。

昇進直後の綱取りに失敗した後、横綱に成れなかった力士は強い大関!?

では、大関昇進1年以内に優勝したが、綱取りは達成できなかったという力士は果たしてどの程度居るのだろうか?

■大関昇進後1年以内に優勝し、最高位大関で引退した力士

四股名 大関昇進場所 大関初優勝
若羽黒 昭和34年11月 昭和34年11月
清國 昭和44年7月 昭和44年7月
霧島Ⅰ 平成2年5月 平成3年1月
魁皇 平成12年9月 平成13年3月
栃東 平成14年1月 平成14年1月

実はこの事例がかなり少ないということが分かった。
何しろ平成以降だと3例しかないのだ。

初代霧島は大関昇進が高齢だったし、栃東は怪我との戦いだった。そして、魁皇に関しては今後の貴景勝次第ではあるが現在データ上史上最強大関というのは揺るぎないところだ。

なお、この事例に該当する力士はデータ上強い大関が多いとも言える。

そもそも最高位大関の力士の中で昇進後に優勝していない力士だって一定の割合で存在するのだ。最近で見ても栃ノ心、高安、朝乃山、正代、御嶽海、豊昇龍は優勝していない。

あと、先ほどの話に戻るが、若羽黒、清國、栃東は大関昇進場所に優勝している。前述の事情を考慮するとやはり力が無いとそんなことはなかなか出来ないと言えると思う。(のちの大横綱でも出来ていないことなのだから)

ということでまとめると以下のことが言える結果となった。

・大関昇進直後の綱取りはデータ上結構存在している

・その綱取りに成功する力士も結構居る

・昇進直後の綱取りに失敗することとその後横綱昇進に手間取ることはイコールではない

まずは霧島の綱取りに期待したいところだが、仮に達成できなかったとしてもデータ上は必ずしもキャリアに暗い影を落とすというものではないので、この点は安心していただきたい。

仮に今回の綱取りに失敗した場合、ネガティブなデータが出てきたらどうしたものかと思っていたので、この結果に誰よりも安心しているのは私だということを付け加えて締めとしたい。

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